2014年 12月 01日
2014年12.1月号 618号 |
クリスマスメッセージ 日本基督教団東海教会 岡 健介
『クリスマス‐闇の中、別の道を歩み出す時』(マタイ福音書1章18節〜2章15節)
イエスたちのエジプト避難は、絵画や彫刻の題材として人気の高いもののひとつだったと言われます。貧困や苦難にあえぐ者たちの中にイエスご自身もいらっしゃるとの福音が、視覚を通して伝えられているためでしょうか。エジプト避難のきっかけとなるヘロデ大王による幼児虐殺は、小さき者を権力者が軽んじる現実を描き出しています。ヘロデの傲慢は過去の出来事ではありません。日本の権力者こそ、子どもの命と尊厳を軽んじているのですから。沖縄における在日米軍基地による様々な被害と新基地建設、朝鮮学校に対する高校無償化除外、福島での放射線量…命を脅かす数々の事態を、権力が悪化させ続けています。子どもの貧困率=十六、三%/六人に一人(二〇一二年)や、ヘイトクライム(スピーチ)への根本的な無策も同様でしょう。このような苦難のただ中にある方々のそばにこそ、イエスはいらっしゃると信じたいのです。
エジプトへの逃避行は夜に始まりました。が、「正しい人」であったヨセフには夜の外出は、ありえない行動でした…マリアとの生活を始めるまでは。夜に屋外で過ごすことは律法違反とされていたためです。羊飼いや漁師が罪人とされたのは、夜の屋外での作業が不可欠にもかかわらず、その事情が考慮されなかったからです。
石打ち刑か、シングルマザー生活か…当時のルールはヨセフとマリアに、このどちらかを選ぶよう求めます。婚約解消によって処刑を免れシングルマザーを選んでも、安全な出産ができるのか?二人で十分に食べていけるのか?ヨセフの拠り所である律法的な「正しさ」では、この問いを解決できないのです。律法の「正しさ」とは健康な成人男子=多数者を前提としたものだからです。「正しさ」は神さまでなく自分だけを大事にする生き方だったとヨセフは理解したのです。神さまを中心に生きるとは、もっとも弱い立場の者=イエスとマリアの命を最優先に考えて決めること。そう気づいたヨセフは「正しさ」を捨てました。自分の生き方を変えることが、ヨセフの答えとなったのです。
ヨセフを闇に向かい合わせ、その只中へ前進させた原動力。それは神さまからの夢に加えて、新たな友との交わりでした。イエスの誕生を知って、東の国から訪ねてきた学者たちとの出会いです。「正しい」生き方マニュアルにおいては、外国人との交流も「×」だったことでしょう。しかしこの時には、学者たちからの祝いと贈り物がヨセフにとって大きな支えとなりました。「外国人はダメ」なんて身勝手な偏見であり一方的な恐れだった…神さまがこの人たちを選び、共に励ましを与えてくれた…「神は我々と共におられる」という真実を、この出会いでヨセフは確信したのです。
東の国からの学者たちは、別の道を通って自分たちのところへと帰っていきます。別の道とは、往路と違うルートという単純な意味ではありません。イエスとの出会いを機に、新しい生き方を学者たちが選んだことを意味します。権力者とのつながりを断ち切って、危機にひんする者の生命を彼らは優先しました。このように考えるとき、イエスとの出会いによって別の道を進み始めたのは、学者だけではないことがわかります。闇の中でのエジプトへの旅立ちは、ヨセフも別の道を歩み出したことを表していたのです。
そしてもうひとり(?)、別の道を歩み始めた方がいらっしゃいます。神さまはヘロデから逃げることをヨセフに勧めました。権力者からの殺意に対して、同じ暴力で立ち向かわない、それらと異なる価値観-生きること・生かすことを選ぶことが、神さまが進む別の道です。逃げることは一見、ブザマかもしれません。しかし、そこには正しさや強さ、大きさを誇るのでなく、弱さと小ささにこだわりつづけるという神さまの意志があります。この神さまの別の道の極みが、信頼と対話をもって隣人となることを選び続けたイエスの十字架と復活であることに想いを馳せたいのです。
沖縄・辺野古や高江での、海や森、そこに住む多様な生命と生活を守るための取り組みは、今まで以上に多くの方の参加で進められているとお聞きしています。愛知県では朝鮮学校高校無償化除外の国家賠償訴訟が行われています。その傍聴行動に参加する中で「この裁判は日本社会における公民権運動なのだと思う」との言葉をお聴きし、胸を熱くさせられました。闇深い日本社会にも、小さくとも確かに平和の火が灯されているのです。わたしたちもこの地で、イエスを心に迎え、別の道を歩み出しましょう。このクリスマスに希望と祈りを分かち合えることを心から感謝いたします。
名古屋YWCA
『クリスマス‐闇の中、別の道を歩み出す時』(マタイ福音書1章18節〜2章15節)
イエスたちのエジプト避難は、絵画や彫刻の題材として人気の高いもののひとつだったと言われます。貧困や苦難にあえぐ者たちの中にイエスご自身もいらっしゃるとの福音が、視覚を通して伝えられているためでしょうか。エジプト避難のきっかけとなるヘロデ大王による幼児虐殺は、小さき者を権力者が軽んじる現実を描き出しています。ヘロデの傲慢は過去の出来事ではありません。日本の権力者こそ、子どもの命と尊厳を軽んじているのですから。沖縄における在日米軍基地による様々な被害と新基地建設、朝鮮学校に対する高校無償化除外、福島での放射線量…命を脅かす数々の事態を、権力が悪化させ続けています。子どもの貧困率=十六、三%/六人に一人(二〇一二年)や、ヘイトクライム(スピーチ)への根本的な無策も同様でしょう。このような苦難のただ中にある方々のそばにこそ、イエスはいらっしゃると信じたいのです。
エジプトへの逃避行は夜に始まりました。が、「正しい人」であったヨセフには夜の外出は、ありえない行動でした…マリアとの生活を始めるまでは。夜に屋外で過ごすことは律法違反とされていたためです。羊飼いや漁師が罪人とされたのは、夜の屋外での作業が不可欠にもかかわらず、その事情が考慮されなかったからです。
石打ち刑か、シングルマザー生活か…当時のルールはヨセフとマリアに、このどちらかを選ぶよう求めます。婚約解消によって処刑を免れシングルマザーを選んでも、安全な出産ができるのか?二人で十分に食べていけるのか?ヨセフの拠り所である律法的な「正しさ」では、この問いを解決できないのです。律法の「正しさ」とは健康な成人男子=多数者を前提としたものだからです。「正しさ」は神さまでなく自分だけを大事にする生き方だったとヨセフは理解したのです。神さまを中心に生きるとは、もっとも弱い立場の者=イエスとマリアの命を最優先に考えて決めること。そう気づいたヨセフは「正しさ」を捨てました。自分の生き方を変えることが、ヨセフの答えとなったのです。
ヨセフを闇に向かい合わせ、その只中へ前進させた原動力。それは神さまからの夢に加えて、新たな友との交わりでした。イエスの誕生を知って、東の国から訪ねてきた学者たちとの出会いです。「正しい」生き方マニュアルにおいては、外国人との交流も「×」だったことでしょう。しかしこの時には、学者たちからの祝いと贈り物がヨセフにとって大きな支えとなりました。「外国人はダメ」なんて身勝手な偏見であり一方的な恐れだった…神さまがこの人たちを選び、共に励ましを与えてくれた…「神は我々と共におられる」という真実を、この出会いでヨセフは確信したのです。
東の国からの学者たちは、別の道を通って自分たちのところへと帰っていきます。別の道とは、往路と違うルートという単純な意味ではありません。イエスとの出会いを機に、新しい生き方を学者たちが選んだことを意味します。権力者とのつながりを断ち切って、危機にひんする者の生命を彼らは優先しました。このように考えるとき、イエスとの出会いによって別の道を進み始めたのは、学者だけではないことがわかります。闇の中でのエジプトへの旅立ちは、ヨセフも別の道を歩み出したことを表していたのです。
そしてもうひとり(?)、別の道を歩み始めた方がいらっしゃいます。神さまはヘロデから逃げることをヨセフに勧めました。権力者からの殺意に対して、同じ暴力で立ち向かわない、それらと異なる価値観-生きること・生かすことを選ぶことが、神さまが進む別の道です。逃げることは一見、ブザマかもしれません。しかし、そこには正しさや強さ、大きさを誇るのでなく、弱さと小ささにこだわりつづけるという神さまの意志があります。この神さまの別の道の極みが、信頼と対話をもって隣人となることを選び続けたイエスの十字架と復活であることに想いを馳せたいのです。
沖縄・辺野古や高江での、海や森、そこに住む多様な生命と生活を守るための取り組みは、今まで以上に多くの方の参加で進められているとお聞きしています。愛知県では朝鮮学校高校無償化除外の国家賠償訴訟が行われています。その傍聴行動に参加する中で「この裁判は日本社会における公民権運動なのだと思う」との言葉をお聴きし、胸を熱くさせられました。闇深い日本社会にも、小さくとも確かに平和の火が灯されているのです。わたしたちもこの地で、イエスを心に迎え、別の道を歩み出しましょう。このクリスマスに希望と祈りを分かち合えることを心から感謝いたします。
名古屋YWCA
by nagoya_y_koho
| 2014-12-01 14:04